自分の親ははたして「毒」なのか? |「毒親」ってなんだろう

こんばんは、ときさめです。

突然ですが、
私の親は「毒親」です。

とはっきり言ってしまえたら
自分の気持ちとしても楽なのですが、
実はまだそうはっきり言い切ってしまうことに
抵抗というか戸惑いを感じているのも事実です。

私は、自分の結婚を機に
親と「絶縁」という道を選びました。

なので、「結婚」は私の中で
人生の転換期といっても過言ではありません。

「絶縁」と書きましたが、
私が一体何をしたかというと

自分の結婚式に親を呼ばず、
その後の関係も絶ちました。

式に親を呼ばないので
当然親戚たちを1人も呼びませんでした。

呼べる親戚が1人も居なかった
と表現するのが正しいでしょうか。

そんな私の結婚式で新婦関係者として呼んだメンバは
恩師、友人という構成のたった6人だけです。

当日は40人ほどの人数が会場に居たわけですが、
私にとってはほとんど初対面の方ばかりでした。

それでも、夫や友人たちから聞く話も
自分で見返す写真も
今まで知っている限りでは1度もないくらい
楽しそうに笑う私が居ました。

別カテゴリで「20代女性の結婚」という記事も書いていますが
意識せずにポジティブな感情を込めて言葉を紡ぐ事ができています。

だからこそ、私は結婚式をやって(やらせてもらえて)よかったと思いますし
結婚式には必ず親がいなければいけない、という考え方は間違っていると考えています。

結婚式に親は必須なのかという疑問について以下の記事で書いています。

自分自身の整理のために「毒親」とは何かを書いていきます。

目次

  1. 「毒親」ってなんだろう?
  2. 「自分」の本当の気持ちを考えよう
  3. 自分の親ははたして「毒」なのか?

1.「毒親」ってなんだろう?

こんな記事を読んでいるあなたですから、
何となく思う事があるのではないかと思います。

最初から自分の親が「毒親」だ!と
断言できる人はいないです。

なぜなら、「親」という絶対的な存在に対して
「毒」なんていうネガティブワードを結びつけることは
純粋に思いつきもしないからです。

俗にいう、「その発想はなかった」というやつですね。

そもそも、「毒親」というキーワード自体
普通に生活していたら出会わない言葉ではないでしょうか。

ところで、
何にしても「悪い」と判断することって難しいですよね。
悪い人、悪い物、悪い性格、悪い関係 etc…

何事も一長一短
という言葉があるように、
誰かにとって悪いことは
他の誰かにとって良いことでもあります。

だから、自分にとって「悪い人」でも
自分以外の人にとっては「良い人」でもあります。

あくまでも、判断するのは自分です。
そして、どうするのかも自分次第です。

「親」は「子」から見たその人を表す言葉です。

「毒」な「親」とは、「子」である自分にとって
該当する人が毒になれば当てはまる言葉です。

そのため、「子」の主観で「毒親」であるかどうかは決まります。

「子」以外の人が主張する「毒親ではない」という反論は
一切意味を持たないと私は考えています。

「毒親」かどうかを決めるのは「子」だからです。

とはいえ、「子」が毒と言うから「悪」だ!とは
言い切れないとも考えています。

ケースバイケースと表現するのは抽象的すぎますが、
例えるなら、腫瘍にも「良性」と「悪性」があるのと同じことでしょうか。

良性の毒親と
悪性の毒親って何?
結局どっちも毒親なんでしょ??
と思いますよね。

そうです。
「毒親」には違いありません。

なぜなら前述したとおり、
親が「毒」かどうかを決めるのは「子」だから。

子が毒だと主張なり考えるなりしている以上、
該当する親は「毒親」なのです。

とはいえ、判断する「子」の主張が正しいかどうかは
「子」以外の人間が決めることです。

周りの意見の一例として、
あのお家はご両親はしっかりしているのに
お子さんがどうも残念なのよね。。。
というパターンが事実としてあります。

親は正しいが、子は正しくない
というパターンですね。

少し強い言い方をしている自覚はありますが
自分でも表現に悩みながら書いているのでご了承ください。。。

毒親は毒親でも、
良性は 親が正しいが、子は正しくない
悪性は 親は正しくないが、子は正しい
と整理できます。

世の中で敵視されているのはもちろん「悪性」の毒親です。

ようやくではありますが、
私は「毒親」という考え方について
最近やっと整理ができたように思います。

もちろん、正しい「毒親」についての解釈はあると思います。
前述はあくまでも私の考え方であり、
あなた自身の考え方だってあるわけです。

考え方の1つとしてとらえていただければ幸いです。

2.「自分」の本当の気持ちを考えよう

私はもともと物事を小難しく考える癖があるといいますか、
母親から見ると「まどろっこしい」と思われていたようで

どうしてあんたはいつも難しく考えるの!?
お母さんの言うことを聞いていれば良いのよ!
普通ならこうするのに、あんたが言うことやることは間違ってる!
屁理屈ばっかり言って!あんたはズレてるのよ!

といったことを小さい頃から言われていたように思います。

思います、というとかなり他人事に感じるかもしれませんが
正直に言うといろいろなことをあまり「覚えていない」のです。

そりゃあ、小さい頃のことなんて皆覚えてないよ
と言われてもきましたが、多分意図的に忘れたのだと思います。

私は小学校2年生の頃に親が離婚しました。

離婚するまでは、いつも何かしら体調が悪くて
特に腹痛と頭痛がずっと続いていたと思います。

物心がついた頃、既に実家は二世帯住宅でしたが、
両親は共働きで常に不在でした。

父方の祖父母が主に私の面倒を見てくれていて、
一人っ子の私は、いつも遅い時間に帰宅する両親を待たずに
祖父母と寝てしまうのが「当たり前」の生活でした。

一人遊びが気楽で好きでしたし、
それなりに友人や家族ぐるみで付き合いのある家庭もあったので
特に不満や不自由を感じたことはなかったと思っています。

ただ、家の中の雰囲気が変だなと感じるときはありました。

それは両親が会話している時だったり、
母親が祖父母と話している時だったり、
祖母からかけられる言葉だったり。

子供だった私には確信的なことは分かりませんでしたが、
何かが嫌だなと感じていました。

子供の頃の気持ちで1番強く残っているのは
「早く大人になってこんなお家出て行きたいな」
と思っていたことです。

今となってはどうしてそんなことを考えたのか分かりませんが
なんとなく決心にも似たような感情だったと思います。

私は、とにかく早く「大人」になりたかった。
多分その理由は、家を出たかったから。

そしてきっと、家を出る=親と離れる
という意味だったのだと今だからこそ思います。

自分の中では「普通」に過ごしていた私ですが、
前述したとおり、腹痛や頭痛に悩みながら小学校へ通いました。

でも、親は「子供の頃は元気いっぱいだった」と言っていたので
あまり親には体調不良を伝えていなかったのだと思います。

そもそも、外にばかり出ていた親なので
会話するほど会っていなかったと言うのが正しいのかもしれません。

自分の中では突然なのですが、私の表情がおかしいと母親が騒ぎ
近くの大きな病院へ連れて行かれたことがありました。

いろいろと検査をし、小児科の先生とお話をするうちに
なぜか1ヶ月ほど入院することとなり、病院から小学校へ通ったことを覚えています。

自覚はなかったのですが、腹痛の原因は胃に穴が開く寸前まで荒れていたこと。
小児科の先生からは「顔から表情がなくなっているよ」と言われてしまったこと。
私は、「自律神経失調症」と診断され、
これ以上おかしくなるのを見過ごせないので
安静のために親や祖父母と関わるのを最小限にすると言われました。

母親は泣いていましたが、
私はたまに会う母親から
「おばあちゃんはお母さんが嫌いだから、あなたのことも嫌いなのよ」
と何度も言われていました。

特にその言葉に驚きはしませんでした。

確かに、祖母は私と二人きりの時
「お父さんは長男なのに、どうして子供のお前は女なんだ」
などと言われることがあったからです。

私は言葉にしなくても、
「私が居るから悪いんだ」と
ずっと思っていました。

でも、そう思うことが当たり前で、
誰に言われてそう考えたわけでもないので
自然なこと、普通なこととは思うけれど
「おかしいこと」だとは思いませんでした。

だから、私は皆が私に言うことを
おかしいとは思いませんでしたし、
誰にも1度も「嫌」とか「やめて」とか言うこともありませんでした。

私が入院したとき、
小児科の先生は、「嫌だったことは忘れてもいいんだよ」
と言ってくれました。

私はどういうことか分かりませんでしたが、
「忘れてもいい、楽しいことを考えよう」と言われたことで
なぜか楽になれたように思いました。

入院中も、同じ病室の子達やご家族の方と遊んだり話したり
学校にも楽しく通っていたと思います。

ただ、入院中だったのか、退院した後だったのか
いつだったのかは分かりませんが、両親は離婚しました。

親権は母親が持つことになり、母親は何度も
「あなたの為に離婚したのよ」と言っていました。

母親と文字通り二人きりの生活は半年もなかったと思いますが、
今までにないくらい母親と接することは嬉しさよりも戸惑いの方が強かったです。

母親は私を「可哀想な子」だと慈しみたかったようですが、
私はその頃も早く大人になりたくて仕方がなかった。

唯一の救いだったのは、母の友人や学校の先生など
良い方たちが周りにはたくさん居て、
私はそんな人たちと話をすることが好きでした。

子供と接する機会よりも
大人と接する機会の方がはるかに多かったと思います。

私は母の「可哀想な子」という接し方に反抗していました。
今まで反発なんてしたこともなかったのに、
母と話をすればすぐ喧嘩になりました。

母はいつも「屁理屈を言うな」と言い、
「あんたはお父さんに似ていて、私を苛立たせる」
と怒るようになりました。

まだ私が小学3年生くらいの時だったと思います。

すぐに母と二人の自宅は男性が出入りするようになり、
「あなたの為よ」と言って母はその男性と再婚しました。

母曰く、
お母さんの意見は普通、一般的。
あんたの意見はおかしい、非常識、世間を知らない子供の言い草。

母の常套句は
「こうするのが普通。当たり前なの。」でした。

私が反論したり泣けば
怒鳴ったり、叩かれたりするようにもなりました。

いろいろあって私は就職とともに実家を出るわけですが、
夫と出会い、結婚することになりました。

無事に結婚式当日を迎えるまでに
それはもう沢山の出来事が勃発して
本当に疲れ果てました笑

そして夫とあらゆる話をして言われた
「普通って何?どうしてそんなことしなきゃいけないの?」
という言葉は私にとって衝撃的でした。

さらに追い討ちをかけたのが
「なんで自分たちがやりたくないことをやらなきゃいけないの??」
なんていう不満気な言葉。

それに反論するために出た私の言葉は
「だって…親がやれって言うから…それにやらないと」

やらないと、怒られる。

なんていうか、情けないですよね。
恥ずかしいし、惨めでした。

自分でやりたいと言った結婚式で、
あれをしろこれをしろと言う両親に
逆らえば怒られるから我慢してと夫に言う自分。

夫は私の言い分に全く意味がわからないという顔をしていましたし、
私は本当に消えてしまいたいと思いました。

あんなに反論していたのに、
母親が言う「普通」という言葉でしか
物事を考えられなくなっていました。

それに加えて「親がやれって言うから」
なんて、理屈ですらありません。

私は、親が言うこと、親が望むことをやってきたので
「自分がどうしたいか」を考えて行動できなくなっていました。

そもそも、「自分の気持ち」で選択していくことを
忘れてしまったのだと思います。

そんな自分の状態に気付き、
ひらすらショックでした。

物理的に親と距離をとったにも関わらず
親離れができていなかったという表現が良いのでしょうか。

実は、友人や同僚にも
自分の親が「毒親」だと思っている人が居て
幸い、話を聞くことができました。

みなさん境遇こそそれぞれですが、
共通して、「自分がどうしたいのか」を
考えることを忘れてしまっているようだと気付き悩んでいました。

一度こうなってしまうと、自分の考え方を
矯正しないと抜け出すことができません。

同僚は「考え方の訓練だ」と笑っていました。

親は子供にとっては絶対的な存在です。
子にとって「親が言うから」は
大義名分となりえるのですが、
自分以外にとってはそんなことありえないですよね。

とても不思議なことですが、
他人の話を聞くと「おかしい、変だ」と気付けるのに
自分のこととなると違和感に気づくことができません。

それは、親が子にとって
「絶対的」な存在であるからと
説明するしかないように思います。

もし、あなたが少しでも違和感を感じて
この記事を読んでいるということであれば
まずは一度、自分の「考え方」を見つめ直してみてくださいね。

見つめ直してみると、案外すんなりと
「毒親」への疑問や対応方法が見つかるかもしれませんよ。

3.自分の親ははたして「毒」なのか?

前項までの文章は、
今の自分だからこそ思う「毒親」って
こういうものなんじゃないかな
を整理してみた内容です。

決して不幸自慢がしたいわけではなくて、
こんな記事を書くからには、私も自分自身のことを
振り返りながら、どうしてこう思うようになったのか
どうして今の自分があるのか、なんていうのを整理しつつ、
私の思いや考えを書くことによって
この記事を読んでいるあなたの苦しさや疑問や怒りが
少しでも違う方向にいくと良いなと思っています。

でも、やっぱり1番は自分の中で整理したいとか
いろいろやってきたことをまだ上手く昇華できていないがために
「やってしまった」とか「親不幸者だ」とか思っている
自分の気持ちをどうにかしたくて書いている部分が大きいです。

当たり前のことですが、私の経験なんかよりももっと
辛いこと、悲しいことを経験して傷ついたり
怒りを抱いている方もいらっしゃると思います。

私の経験を読んでも、
「こんな程度の経験なの??」
と感じてもおかしいことではありません。

では、今度は自分自身に問いかけてみてください。

あなたの親は「毒親」でしょうか?

私は、冒頭でも書いているとおり
自分の親を「毒親」だと思うことに決めました。

なぜなら、私は意識をして親から離れるきっかけを得ないと
一生自分の考えを失ったまま過ごすことになると思ったからです。

とはいえ、子にとって絶対的な「親」という存在を
「毒」だと判断することは難しいです。

謎の罪悪感に襲われます。

現に私も、「毒親」と思い込むことに
抵抗や戸惑いを感じています。

でも、こんな私の経験でも
私は自分の親を「毒親」と呼ぶことに決めました。

もし、この記事を読んでいるあなたが
違和感を感じながらも「私の親は毒じゃない」
と思っているのだとしたら。

自分で納得ができないのに
「親が決めたこと、望んだことだから」
と言い訳して自分の進む道を選択しているのだとしたら。

あなただけでも良いです。
あなたの親は「毒」だと認めてみてください。

今は思い込みでも良いです。
罪悪感を抱いていても良いです。

あなたが生きているからダメなんだと
思うことを一度やめて、
「毒」が近くに居るからダメなんだと
責任転嫁だと思っても構いません。

「考え方」を変えてみてください。

自分の親は「毒」なのか?
その答えを決めるのはあなたです。

「子」であるあなたが決めて良いのですよ。

少しずつでも構いません、
自分自身の気持ちと向き合ってみてください。

まとめ

きっと、私が自分の親を「毒親」だと断言しきれないのは
肝心の判断材料である「思い」とか「記憶」をほとんどなくしてしまったからだと思います。

前項までに書いたことは
自分の記憶ではありますが、
私はあまり「覚えていない」のです。

意図して忘れてしまったのだと思います。

辛いことや苦しいことを忘れてしまっても
誰にも責められません。

他人が責める権利はありません。

私は楽しかったことも覚えていないですが、
それでも後悔することはありません。

知らないから、後悔しようにも
できないというのが正しいようにも思います笑

それでも、楽しいこと嬉しいこと
ポジティブな思いや記憶は
自分次第でこれから先、いくつでも作っていくことができます。

確かに、自分の「考え方」を変えることは
簡単なことではありません。

ただ、この記事を読んで、「毒親」に悩むあなたの気持ちに
小さな変化をもたらすことができれば嬉しい限りです。

今はまだ私も苦しいので、
以下の本を読んでいるところです。

電子書籍版も出ており、
私はこちらで読んでいます。
毒になる親【電子書籍】[ スーザン・フォワード ]

読んでいると、辛いを通り越して
心が痛くなるように思います。

少しずつ読んでみて、自分の新しい考え方に
これで良いと言ってもらえている気がして
安堵のような気持ちも出てきます。

かなりショッキングな内容ではありますが、
もっと早くにこの本を読みたかったなと思いました。

かなり暗い内容の記事を書きましたが、
こんな人も居るんだなと思えることで
「毒親」と向き合うあなたへ何かしらの
きっかけができれば幸いです。

▲目次へもどる

ときさめ

ときさめと申します。 現在は20代後半です。結婚や仕事、親など色々悩んだり考えたりしたことがあったので、自分の経験や発見をまとめた記事を読んでくれた方が少しだけ元気になれたたら良いなと思いながらブログをやっています。 食べ物やギフト、結婚式のアイディアなどもまとめています。何か参考になれば嬉しいです!

あわせて読みたい